昭和23年波力発電に関する小学生の記録
終戦直後の昭和23年に当時小学6年生だった少年が作成した社会科のレポートを寄稿していただきました。佐賀県の新しい工業地帯の開発構想とそのためのエネルギーに波力発電が提案されています。
【寄稿いただいた方からのメッセージです。】
「昭和23年、佐賀市の小学校6年の時に書いた幼稚なレポートが手元にあり大事にしています。それは、有田焼などの窯業以外に大きな工業がなかった佐賀県に、唐津に貿易港を含めた工業地帯を作ったらどうかという内容です。その中に、多分新聞の拾い読みだとお見ますが、佐賀県出身の人が波力発電を開発したのでそれを利用したらいいと書いています。おぼろげな記憶では九大か大分県ではなかったかと思います。原発などおよそ考えなかったその時代に既に、波力発電の研究が始まっていたことを思い出し、佐賀県を郷里に持つ者として、今回の玄海原発の問題は大変つらいニュースとして見ています。そこでこの波力発電の研究開発の歴史の初期の頃のことが知りたくなり、お尋ねしたいのです。今、風力、太陽熱、地熱発電はメディアで取り上げられていますが、波力発電の話が出てこないのもさびしく思っています。
紙が茶色いのは当時の紙そのもので、当時の硬い粗雑な消しゴムでは消す時に破れやすいほどのわら半紙で、テストなどはこのような紙が多く使われていました。赤の補筆は担任の先生の字。日付が2月になっているのを見ると、夏休みの宿題ではなさそうです。
この年代では既に現代仮名遣いにはなっていますが、漢字はまだ旧字体のようです。
ついでに原発に関しての感想ですが、TV朝日のニュースステーションの初期のころ、久米宏さん、小宮悦子さんに初代のコメンテーター、朝日新聞の小林さん(故人)が、放射線廃棄物の処理をフランスに送っていた事の取材で廃棄物の入った多くのドラム缶を後ろに解説されていた、ショッキングな放送をはっきり覚えています。いま、原発の安全性ばかりが表に出ていますが、裏に一番問題の廃棄物処理問題を、メディアが恐ろしくて避けているとさえ思われるような気がしてなりません。
原発については、設置された地元の方以外の国民は、いかに本当の事を知らされていなかったか、知ろうとしていなかったか、講談社発行の「日本の原子力施設全データ」(北村行孝・三島勇著)を読みながらその思いを強く感じています。」












